看護師として働き始めて約1か月半。
5日前くらいに寝不足もあって休み始めたのをきっかけに5日ほど連続で休んでいる。ある一日は職場に行くために家を出る直前トイレに行ったらそのままトイレから動けなくなり、別の日は玄関まで行ったけど、玄関で座り込んでそのまま動けなくなり、今日は自転車置き場まで行って、自転車の前まで行ったけど、そこで動けなくなり。
動けない理由は主に二つだと思う。一つ目は休んでいる中でほどけた緊張を再び社会に出て、かけなおさなければいけないことに対する防衛、抵抗。二つ目は数日休んだことによる同僚からの奇異な目線があるかもしれない、ということに対する防衛。
上記の二つの具体的な内容は以下の通り
一つ目→僕は1か月の仕事でずっと少し強めの緊張を無意識にかけてきた。それは不安からくる緊張だ。仕事中に、自分が覚えていないことがあったり、自分ができないこと、があったりすると、「今できてない!やばい。周りに「なんでできないの?勉強してきてないの?」って責められたり、思われたりしてるかも」と不安になる。仕事終わり家に帰った後や休日も「なんか勉強しなきゃ」とか「明日のためになんか準備することあるかなぁ」とか思いながら過ごす毎日。実際にはほとんど勉強してないが、そんな不安を抱えながらだらだら過ごした。翌日の仕事で再度できないことがあることが不安で仕方ない。
再度職場に戻り、上記の不安を抱え、緊張し続ける毎日がとても耐えられる気がしない。
実際に同僚の人から仕事ができないことに対して怒られたことは一度もないし、勉強してこい、とも一度も言われたことがない。でも、僕自身が周りからそんなことを思われているんじゃないか、と変に勘ぐってしまったするから、その「もしも」のために自分自身を緊張させ続けなければいけない。
二つ目→奇異な目というのは同僚からかけられる「どうして休んだの??」という目だ。まるで「あなたがしんどくて休んだことを想像もできない」というような意味合いを含んでいる質問のように感じ取ってしまう。ましてや、そこに「休むことはみんなに迷惑をかけることだから、なるべく来るように」なんて言われたり、思われたりするかもと思うと、もっとしんどくなる。
これらの他者の目、というのは僕の生きてきた周りの環境とそれを取り巻く社会に起因していると思う。
僕の過程はザ中流階級。父親は大企業。母親はパート兼主婦。父親は旧帝大を卒業しているのだが、それもあってか、「勉強できない奴は馬鹿だ」という価値観が父親の根底にあり、それを僕たち子どもも押し付けられ、僕は内面化した。
中高時代の勉強は父親が教えてくれたのだが、父親が僕に勉強の解説をしたけど、僕の理解ができてないと、怒られた。
ある時は「誰がお前らを養ってやってるんだ」と子どもと母親に何度か言った。理由は忘れたが、父親の理想的な家族、息子観に反した態度を僕がとったからだと思う。
それもあってか、僕は父親の価値観を内面化し、「勉強しない奴はばかだ」と考え、馬鹿な奴にならないように、頑張った。将来社会的に上位に居る自分を目指し、生きてきた。
しかし、ずっと緊張してきたためか、高校3年生の夏に不登校になった。それから、徐々にその価値観が自分のアイデンティティとして脆く、自分をむしばむものだと理解してきた。
しかし、その価値観は今も自分の中にあって、それでしんどくなることがある。
今回休んでしまっている理由は、父親の影響による内面化された価値観が生み出した社会(父親だけでなく、日本社会全体を取り巻く能力主義的価値観にも影響されていると思う)と、その社会にもう戻りたくないという自分の葛藤だ