さくの日記

今年の4月から看護師として就職します。精神科に就職です。悩むことが多くてしんどいこともあるけど、頑張って生きていきたいです。

僕にとっての上下関係

今、思ったのは、僕は会社の同僚が怖い。もっと言えば社会の人間が怖い。自分を傷つける可能性のある人たちが怖い。自分を傷つける人たちとは、僕より力を持った人たち。力、知力、能力、コミュ力、モテ力等。

僕は父親の劣位に置かれてきた。お前は馬鹿だと。そして、野球部でも劣位に置かれてきた。自分は体が小さく、野球も上手じゃなかった。野球部内で認められるコミュ力もなかった。僕はいじられた。中学の時での野球のクラブチームなんか、僕は同級生を呼び捨てで呼べなかった。彼らと僕は上下関係にあり、僕のそこでの価値は彼らにゆだねられていた。

職場では僕は今一番下で、能力もない。みんな上だ。職場の人たちが僕の価値を決めてしまう。一つでもぼくの評価を低くしようもんなら、僕は容易に傷つく。

ドロップアウト中

看護師として働き始めて約1か月半。

5日前くらいに寝不足もあって休み始めたのをきっかけに5日ほど連続で休んでいる。ある一日は職場に行くために家を出る直前トイレに行ったらそのままトイレから動けなくなり、別の日は玄関まで行ったけど、玄関で座り込んでそのまま動けなくなり、今日は自転車置き場まで行って、自転車の前まで行ったけど、そこで動けなくなり。

動けない理由は主に二つだと思う。一つ目は休んでいる中でほどけた緊張を再び社会に出て、かけなおさなければいけないことに対する防衛、抵抗。二つ目は数日休んだことによる同僚からの奇異な目線があるかもしれない、ということに対する防衛。

 

上記の二つの具体的な内容は以下の通り

一つ目→僕は1か月の仕事でずっと少し強めの緊張を無意識にかけてきた。それは不安からくる緊張だ。仕事中に、自分が覚えていないことがあったり、自分ができないこと、があったりすると、「今できてない!やばい。周りに「なんでできないの?勉強してきてないの?」って責められたり、思われたりしてるかも」と不安になる。仕事終わり家に帰った後や休日も「なんか勉強しなきゃ」とか「明日のためになんか準備することあるかなぁ」とか思いながら過ごす毎日。実際にはほとんど勉強してないが、そんな不安を抱えながらだらだら過ごした。翌日の仕事で再度できないことがあることが不安で仕方ない。

再度職場に戻り、上記の不安を抱え、緊張し続ける毎日がとても耐えられる気がしない。

実際に同僚の人から仕事ができないことに対して怒られたことは一度もないし、勉強してこい、とも一度も言われたことがない。でも、僕自身が周りからそんなことを思われているんじゃないか、と変に勘ぐってしまったするから、その「もしも」のために自分自身を緊張させ続けなければいけない。

 

二つ目→奇異な目というのは同僚からかけられる「どうして休んだの??」という目だ。まるで「あなたがしんどくて休んだことを想像もできない」というような意味合いを含んでいる質問のように感じ取ってしまう。ましてや、そこに「休むことはみんなに迷惑をかけることだから、なるべく来るように」なんて言われたり、思われたりするかもと思うと、もっとしんどくなる。

 

これらの他者の目、というのは僕の生きてきた周りの環境とそれを取り巻く社会に起因していると思う。

僕の過程はザ中流階級。父親は大企業。母親はパート兼主婦。父親は旧帝大を卒業しているのだが、それもあってか、「勉強できない奴は馬鹿だ」という価値観が父親の根底にあり、それを僕たち子どもも押し付けられ、僕は内面化した。

中高時代の勉強は父親が教えてくれたのだが、父親が僕に勉強の解説をしたけど、僕の理解ができてないと、怒られた。

ある時は「誰がお前らを養ってやってるんだ」と子どもと母親に何度か言った。理由は忘れたが、父親の理想的な家族、息子観に反した態度を僕がとったからだと思う。

それもあってか、僕は父親の価値観を内面化し、「勉強しない奴はばかだ」と考え、馬鹿な奴にならないように、頑張った。将来社会的に上位に居る自分を目指し、生きてきた。

しかし、ずっと緊張してきたためか、高校3年生の夏に不登校になった。それから、徐々にその価値観が自分のアイデンティティとして脆く、自分をむしばむものだと理解してきた。

しかし、その価値観は今も自分の中にあって、それでしんどくなることがある。

今回休んでしまっている理由は、父親の影響による内面化された価値観が生み出した社会(父親だけでなく、日本社会全体を取り巻く能力主義的価値観にも影響されていると思う)と、その社会にもう戻りたくないという自分の葛藤だ

愚痴や悩みを言う時は感謝

私は最近、人に悩みをよく話せるようになった。でも、悩みを話してスッキリするってのは、相手に癒してもらったり、和ませてもらってるからで、相手がいないとできない行為だ。

私にとって、悩みを言わないことは難しい。しんどい時はやっぱり悩みを聞いてもらって、楽になることができる。悩みをお互いに話すことで、お互い共感したりして、親しくなることができるし、生きる手段の一つだ。でも、悩みを話すことは相手に聞いてもらってることであり、友達ならそれをタダでしてもらってる。話を聞いてもらうことはケアをしてもらってることだ。だから、感謝が必要だと思う。

自分の男性特権。中学生の時、痴漢した話

  • 最近、ジェンダー関連の本をよんだりしている。その中で性暴力やセクハラに関することが書かれている。
    それらを読んでいて、思ったのが「自分は過去(中学生の時)に痴漢をしていた」ということ。正しくは痴漢と認識はしていたけれど、その行為が相手の女性にどのような影響を与えるか、を全く考えていなかった。男から性的な欲望の対象として見られたり、触られたりする、不快感、怖さ。しかも、その男性は絶対に自分に叶わない。いつ襲われるか、レイプされるかわからない。身体的安全の確証がない恐怖。

当時の心境としては、自分の性欲に加えて、友達同士でやるゲームみたいな感覚でやっていたと思う。教室の狭い通路で女性とすれ違う時にお尻に触れることができるか、みたいなことをした。馬鹿なことをやれるか、ということを競ったり、面白がったりする。つい最近まで男友達との会話でネタにしていた。

「俺は男で女性や子どもよりも強い。容易に恐怖や不快感、嫌悪感を与えることができる存在だ。」と認識して、しっかりと相手のことを想像して、女性とかかわらなければいけない。

女友達に彼氏ができてショック

数か月前から仲良くしてた女友達Aさんに彼氏ができて、「もう二人であったりすること難しい」って言われた。それが結構ショックだった。

Aさんとは3回くらい二人で会って、たまに電話とかもしたりとかしてた。女友達ができるのはほぼ初めてだった。異性の友達としゃべったり、会ったりすることが自分にとってすごく癒しになってたし、心地よいものだった。自分の価値観とか悩みとか話したり、相手の価値観とか悩みとか聴いて、共感したりすることがすごく楽しかった。

Aさんとのコミュニケーションによって、自分の恋愛経験の乏しいゆえの劣等感だったり、自信のなさとか、孤独感とか、も埋めることができてた。異文化に対する知的欲求も満たされた。Aさんとは会話でSEXしてるみたいな感覚だった。(最後会ったときに、「ちょっと好きかもな」とかも思ったりした。)

だから、自分にとってAさんとのコミュニケーションは、精神的な安寧につながっていた。これからも、こうやってたまに会ったりして、話したり、遊んだりしたいなと思ってた。

Aさんに彼氏ができて、もう会ったり、電話することできないってことは、また前の自分に戻って、孤独感とか劣等感に襲われたりするかもしれない、と不安になって、ショックだった。少し好きになったのも原因の一つだと思う。

「Aさんが女で僕が男だから、二人で会うことが難しい」っていう男と女の関係の理不尽さみたいなのも感じている。

引越しのバイト

今、引越しのバイトをしている。今日1日目。ちょうど時間空いたから、ブログ書いてる。

引越しの社員で怖い人に会った。なんか、野球部にいた頃を思い出す。

交わした会話は一言二言。僕は、まだ1日目だからほぼみるだけの形で、その人と他のスタッフのやり取りとか見てたんだけど、感情を汲み取ってコミュニケーションしてくれなさそうな人だと感じた。

バイトの男の子に対して「おまえ」と言ったり、他のスタッフに質問されたけどよく聞こえなかったみたいで、「あ??」となんか怖い感じで聞き返していた。「全然きこえねぇんだよ!」みたいな意図を感じる。

中学生の頃の野球のクラブチームや高校の野球部の中でもそんな人がたくさんいた。

チームの中で僕は下手くその中に入ってて、僕がうまくできなかったら、「もっとちゃんとやれ!」と周りから責められたし、相手が傷つくことを考えることのできない人たちが多かった。

僕はその人たちと対等にコミュニケーションできなかった。ずっと、下手から出て、機嫌を伺いながら接していた。

あの頃と今回の引越しのバイトであった人に相対した時の胸のザワザワ感が同じ。

存在や感情を蔑ろにされてる感覚になって、いやだ。

いとこに会った

3/5

大阪に居るいとこに会った。3才年上と1才年上の姉妹に会った。

久しぶり。3.4年ぶりだと思う。以前いとこは福岡の祖父母の家で二世帯住宅として暮らしてたんだけど、大阪に引っ越したから会う機会が減った。いとこは会おうという意思がないとと会う機会が訪れない。

これまで、いとことまともな会話することがほとんどなかったから、あんまり親近感がなかった。

だけど、今回、いとことたくさん話して、大好きになった。僕は女性と話す機会がこれまで少なかったから、何話そうかわ、と不安になってたところはあったけど、心配及ばずだった。

いとこだからお互い恋愛対象としてみることはないから、自分がかっこつける必要もないし、男としてよくみられたい、っていうのもなかったから、自然体でいられた。

 

また会いたい。